数年前、何の前知識もなく「ファブル」の漫画すすめられて読んだらはまった────。
そこに出てくるバーのモデルがめちゃくちゃ岸和田で、泉州住の私からしたら、すぐ行けるやん────ってなった────。
でもすぐ行けるってなったらなかなかいかんくて、けどやっといってきた────。
入ってすぐ、客がまだいない時間帯ということもありバーのマスターがめっちゃ相手してくださった。
ファブル目当てで来たのわかった瞬間生原稿を飾ってある壁を案内してくれて感動。
漫画読んだときは絵が写真みたいだったからすべてパソコンで描かれているのかと思ったけどあの原稿見たら線画までアナログで、ベタやトーンはパソコンっぽい。
セカンドからすべてデジタル作画とのこと。
原稿も写真撮らせてもらって、いろんなことにやる気なくなったらあのち密な原稿見てやる気出す。
作者の南勝久先生のお話をいろいろ聞いて、あーマジで存在するんやーって思った。
先生の写真見せてもらったらほんまに岸和田のひとって雰囲気で笑ってしまったw
親近感わきすぎる…。笑
楽しかった。
てか泉州のよくないイメージって何なんやろうな。
ネットでは「泉州弁には敬語が存在していないため…」とか書かれてるんやけどどういうことやねん、あるわ敬語くらいww
でも昔岸和田の王将に大阪市内の友達といったら、うちらのテーブルの隣で客と店員がケンカぶちかましてて、2人でおびえたときあったな…。
そのあとその友達に、「また来てね」っていうたけど、「もうけーへん…」って震えながら帰って行ったわ…。笑
いや別にあれ日常茶飯事ではないよww
今読んでる本。
以下、めっちゃ暗くなるないようなので注意。
考えさせられる、てか読んでない時もこの本のこと考えてる。
こんなん生きる気なくすよな…。
みんな頑張ってる。
てか普通のコミュニティとかでもこの中に出てくるような「陰」というか精神疾患持ってるような人たちを排除するような空気感があるような気がする…。
もちろんそういう精神疾患で人に不快な思いさせたりコミュニティをごちゃごちゃに乱してたらかばいきられへんかもしらんけど。
お互いが程よい距離とって程よい関係であればいいのにって思う…。
なんか空気読めるというか気遣いができる人って、それが当たり前になりすぎてるんか知らんけど、無意識で相手にも求めてしまってる人もいる。
で、気遣いした相手がいないところで「あの人はあの時お礼いうべきだった!」って憤ってる。
でもそれってはたから聞いてたら、いやお礼を強要する気遣いってなんなん?って思ってしまう。
別にやらんでいい気遣いやったし、それはもうアンタの押し付けやろ、みたいな。
勝手に相手に期待するのは駄目やと思う。
だからなんか人間関係で悩む人ってそういうしょうもない人を怒らせて気にしてやむんかなと感じた。
別に気にせんでいいんやで、と。
声大きい奴がかつみたいな世界観はよくない気がする。
言うて私もたいがいうるさいから何とも言えんけど「陽」が正しいみたいな、コミュニティに混ざってワイワイできるのが正義みたいな世界観はどうなん、みたいな。
人それぞれ育ってきた環境が違うし得意分野も違うやろ。
この本読んで思うのが、本に出てきた中で悪い人はいなかったな、と。
でも親とか旦那とか、自分に影響を与えてくる人がだいたいくずで、貧困に落ちていく。
で、そこから、
・情報弱者
・人とのつながりを拒絶
この性質を持っているとさらに貧困を招いて孤独に追いやられてる気がする…。
孤独になると性格もどんどん暗くなって自分を諦めて(または他人を傷つけて)、コミュニティになじめなくなって余計孤独に、っていう悪循環…。
「悪循環」にはいったら自分のことを客観的にみられへん気がする。
全て感情に支配されそう。
声大きい奴が正義なのは嫌と感じつつも、私自身情報弱者の自覚あるから他人事ではないので頑張らなあかんと思う。
しっかりいろんな人とからんで、怒られてもいいから自分のことを客観的にみてくれる人とつながる努力はしときたいな。
まじで、社会でいきるのしんどくなる本やけど、こういうのつい読んでしまうわ。
「ルポ西成」とか。